「思い出の地巡り」

~起業編~
サトシ
サトシ

こんにちは!サトシです。

2年2か月に渡るアメリカ・オレゴン州ポートランドの単身赴任の旅から戻ってきて、単身赴任で沖縄に出向して住んでいましたが、2021年3月5日で23年間のサラリーマン人生を卒業し、東京都品川区南大井で不動産を主に取り扱う「Anchors株式会社」を起業することになりました。一緒に会社が成長していく様子を応援してもらえるとうれしいです!

      

いつもここからお買い物いただいてありがとうございます。応援になります!

今日は1月3日やぁ。箱根駅伝は青学強いなぁ。それにしても久しぶりに箱根駅伝の下りを見たなぁ。いつもやったら、もう会社に出てるか、飛行機に乗って勤務地に帰ってるもんな。学生の皆さん本当にがんばって走ってて、こっちもがんばらなきゃと思いながら、だらーっとしてます。

昨日はお墓参りに行って、お昼に「希望軒」でラーメンを食べた後に、皆様と別れて散歩しに一人で歩いて行きました。

希望軒は兵庫県発祥で関西方面にいっぱい店舗があるみたいやで。
2大看板はとんこつラーメンとこのピリカという辛味噌のラーメンみたいです。

とりあえず、子供の頃1番長く過ごした泉南市樽井の家を見に行こうかな。あの辺はどうなってるんやろ?樽井の家は幼稚園から大学3年になるまで住んでいたので、子供の頃の記憶はこの家で過ごした記憶と言ってもいいと思います。

でも、不思議なもんよなぁ。実際に歩いて行って見ると、自分が思っていたのより道が細いんよね。やっぱり子供の頃のイメージが強いから、すべてが大きく見えてたんかな?樽井の家は昭和55年くらいに建てられているから、もう取り壊されてるかなぁと思いながら行って見ましたが、

ありました!

外壁が塗り直されて色が変わっていたり、車庫が増設されたりしていましたが、ありました。すごいなぁ。まだ現役で人様の役に立ってるんやなぁ。現役生活41年や。

10軒くらいの住宅地ですが、思ったより小さな区画やなぁと思いました。やっぱり子供の頃の自分の感覚と大人になってからの自分の感覚がこんなに変わってるんやぁと思いました。あと、不思議と完全に忘れていた近所の人の名前が思い出されたりしました。さすがにピンポンはしませんでしたが(笑)。

そこから、小学校にとりあえず行って見ようと思い、なんとなく感覚で歩いて行きました。本当は田んぼの畦道を通り抜けて行ってたのですが、田んぼはもうなくなっていて、全部住宅に変わっていました。引っ越した先よりは多少は栄えているのか、畑とか田んぼはなくなっていました。行ってる途中にいつも行っていた駄菓子屋さんがなくなってるし、通っていた樽井幼稚園は防災コミュニティセンターに変わっていました。

防災センターに建て替わって書けど、形は当時の幼稚園と似てるなぁ。

それにしても昔ながらの道だからか、道せま。子供の頃の感覚より全体的に道が狭く感じます。

道細いんよな。ところどころに昭和何年築やねんという建物がありました。

不思議なもんで、何も考えていなくても、景色も覚えていなくても正確に道を覚えていて、樽井小学校まで最短距離でつけました。

講堂はほんまボロボロやったなぁ。

小学校から中学まで剣道をここの講堂をつかってやってたんよなぁ。今は耐震性に問題があるとかで使われていないそうです。

今見ても小学校は案外大きいなぁ。

そうそう、さっきの家に引っ越す前はこの小学校に隣接しているボロボロのアパートに仮住まいしてたなぁ。小学校に近くてめちゃくちゃ近くて良かったけど、幼稚園の間に今の家に引っ越したんよな。そういえばここに住んでいる間に校舎火災で燃えたんや。そうや、木造校舎から建て替わったんや。

昔住んでた時はもっと長屋みたいなボロボロの建物やったなぁ。トイレも和式でボットン便所やったなぁ。

そこから海の方に向かい、自宅の方へ帰って行きました。歩きながら思うのが思ったよりもすべての距離が近い。やっぱり子供の頃の体の大きさと今の大きさが全然違うからやな。大きくなった頃には原付バイクに乗ってるか車に乗ってたから、歩いたり自転車に乗ってたのは中学までやからな。

今までずっと自分が住んでいたところを歩いていこうなんて思ってもなかったけど、今回歩いたのはジジイになったからか?郷愁を感じたかったのか?結論としては暇すぎたからです(笑)。

今回歩いたのはちょうど11000歩くらいの道のりでした。

じゃあ、今日ものんびりお正月しましょ。